top > destinations > 中国 >   香格里拉、元陽、景洪

中国 China

香格里拉

 チベット人が住む街で、標識や店などには中国語とチベット語の表記が必ずと言っていいほどある。近郊にはチベット寺もあって、街中で僧の姿も見られる。香格里は古い街並みのエリアを美しく整備し、観光に力を入れようとしているのが窺える。その中心には四方街と呼ばれる広場があり、昼間はお土産などの店が並んでいるが、夕方になると人々が大勢集まってきて円を作って全員で踊りを始める。あれよあれよという間に人の数が増えて、警察官なども踊りに加わり、店を営んでいる人もこの時間だけは商売そっちのけになる。

 ここからチベットのラサ行きのバスが出ているが、外国人立ち入り禁止エリアを通ってラサへ向かうので、外国人はチケットが買えたり買えなかったり流動的。ラサまでは3泊途中の町で泊まることになる。あまり外出はせず、警察に密告されないようにおとなしくしておいた方が良い。ちなみにランクルもあって、こちらはバスよりも割高だが2泊3日でラサに着くらしい。道中の景色は絶景で、闇バスのハラハラ感と一緒にいい思い出になること間違いなし。

3月26日

 シャングリラへ行こうと決意し、8時20分のバスに乗るために朝早く起きたけど宿のオーナーが不在でチェックアウトができず、結局10時40分のバスになってしまった。
 バスに乗り込むと旅が前進する清々しさと、12泊した麗江への想いが入り混ざった。バスは山道を走り、シャングリラに到着。バスターミナルで一気にラサ行きのバスチケットも買った。ラサへのバスは週2本しかないが、運よく翌日にバスが出ていた。外国人はラサ行きのチケットを買えないという噂もあったが、チケット売り場のおばさんは簡単な英語を使ってくれて難なくチケットを買えた。シャングリラの宿は麗江でおすすめされた宿に泊まることにし、とりあえずゴンパまで散歩をした。でかいマニ車があったな。夕方から夜にかけて、四方街でシャングリラの人々が集まって踊り始めた。土産屋の人も警察官もみんな楽しそうに踊っていて、気が付けばすごい人数になっていた。夕飯は宿の料理を、宿泊者全員で食べた。

麗江から香格里拉へ。

元陽

 元陽は美しい棚田が有名で、旅行者は棚田を見にここへ訪れる。棚田はいろいろなスポットがあり、乗り合いタクシーを捕まえて観光することになり、タクシーをチャーターすれば楽に回れるが貧乏旅行者にとっては厳しい料金となる。夕暮れなど、時間帯によってより美しく見られたりするので、地元に人に色々聞いてみると良い。元陽は山に貼り付いたような街で、坂や階段でかなりアップダウンが激しいが、なかなか居心地が良い。定期的に行われるマーケットがあり、その時は街がかなり賑わい、少数民族の人たちもたまに姿を見かける。

中国、麗江の町並み
2月1日

 4日に一度あるというマーケットが今日開かれ、少し歩いてみたが生活品などがメインに売られていて旅行者はあまり楽しめない。とりあえず活気がある街の雰囲気だけ味わっておいて、棚田が美しいと言われている「モンピン」に向かおうと思う。モンピン行きのバスを探すが、乗合バスについて訪ねたかったがどいつもこいつもチャーターか?と勘違いしてしまって、かなり苦労した。なんとかモンピン行きの乗合バスを見つけて、モンピンに到着することができた。しかし日が高いうちに来すぎて夕日の時間まで3時間くらい待たなければならなかった。その間、周辺に住んでいる中国人の子供たちが物を売りに来て、暇つぶしに相手をしていたら結構楽しんでしまった。どこへ行っても子供は無邪気でかわいい。
 夕日が沈むモンピンは噂どおり美しくて来た甲斐があった。暗くなる前に乗り合いバスを捕まえねばならないと思うとちょっと不安になったが意外とあっさり乗合バスが通った。晩飯は昨日と同じ食堂で食べて、犬の脳をほんのちょっとだけ試食した。

麗江からちょっと遠出の散歩。

景洪

 ラオスと中国を行き来する人は、たいていの人が中継点として景洪を訪れることになる。中国銀行など銀行も揃っているのでラオスから来た人は思う存分両替できる。景洪はタイ族が住むことで知られているが、街を歩いている限りではなかなかタイ族の人々に会うことはない。景洪は思った以上に大きな街で、大きな道路がいくつも走っている。居心地は悪くない街だが、見所が多いわけではない。

3月12日

 ルアンナムターから景洪へ向かう。豆乳のお茶を飲んでから宿を出て、バスターミナルでバスチケットを買った。日本人が他にもあと3人いて退屈せず行けそうだ。国境のボーテンまでの道は昔通ったときよりもかなりよくなっていて驚いた。パスポートにラオスと中国のスタンプをもらい、バスが来るのを少し待ってから乗り込んだ。昔はラオス側の道が悪路だったが、今回は中国側が道路大開発の工事中でガタガタしている。モンラーという街で一人の日本人と別れ、残りのメンバーで景洪へ向かう。中国元へ両替したかったが、景洪で替えることにしようということになった。景洪へはここから5時間。途中、タイ族が居住地域らしい風景もあった。景洪では宿探しに苦戦し、前払いのお金がなくて追い返されたりした。以前に泊まったことがある宿は一人では高く、結局中国人の宿になった。みんなで晩飯を食って寝た。

ラオスから国境を越えて中国へ。

inserted by FC2 system