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イラン iran

テヘラン

 イランの首都でかなり大きい街。地下鉄が走っており、今後の規模拡大の開発予定も決まっているようだ。テヘランは便利で過ごしやすい街であるが、これといってやることがない。大きいバスターミナルがいくつかあり、イスタンブールへの直通バスも出ている。イスタンブールまでかなり長時間バスに乗ることになるが、安くつく。

イラン、テヘラン
10月17日

 朝食の買い出しの途中、バスにひかれそうになる。ナーンとチーズを買ってマシュハドホテルのテラスで食事。そのあと両替をしてスーパーマーケットやサンドイッチ屋を散策するが、宿に帰ってからはゆっくり過ごしていた。テヘランは車が多いから、外へ出るのが億劫になる。アフリカからの旅行者にアフリカの話を聞きながら、ザクロをもらって食べた。夕食は昨日と同じレストランで食べる。インターネットを1時間だけして、就寝。

首都テヘランにて。

バム

 アルゲバムは「バムの城」という意味で、見ごたえのある遺跡だ。数年前に起きた大地震で崩壊したあと、世界遺産に登録され危惧遺産にも登録されたらしい。崩壊中ということでバムを通過してしまう人も多いが、崩壊していても見る価値はある。見学できる場所は限定されるのが残念。

 日本政府関係もバムの修復に協力しており、修復作業の骨組みやショベルカーが日本から運ばれてきたものだと、たまたま居合わせたジャイカ職員の方が教えてくれた。ほとんどの安宿が地震で閉鎖されたが、1件だけプレハブで経営している。バムへ向かうときは外務省の安全情報を確認して、渡航の時期は充分考えること。

イラン、アルゲバム
3月18日

 バスが止まった飯屋が異常に高く、すっかりパキスタンルピーがなくってしまった。バスは早朝タフタンに着き、レストランのような場所でボーダーが開くまで寝させてもらった。9時過ぎにタクシーでボーダーまで行き、イミグレーションを通過。イランへ入国した。ザーヘダンまではタクシーを使い、バムまでボルボのバスに乗った。韓国人のおじさんも加わり、バムのアクバルホテルにチェックインし、アルゲバムまで歩く。アルゲバムは現在も崩壊中で、修復作業には日本政府も参加している。ジャイカの職員がその様子をチェックしに来ていた。

パキスタンから一気にバムへ。

エスファハーン

  美しいモスクが有名で、多くの観光客が訪れる。モスクの美しさからか、“エスファハーンは世界の半分”という、よくわからないキャッチコピーが付いている。モスクは時間になると、実際にムスリムの方々が集まってのお祈りが始まり、観光客はだいたい追い出される。

 バックパッカーが集まる宿が一軒あり、だいたいの人がここに泊まるが、他に安い宿がないだけで居心地が良いわけでない。町歩きも特に楽しいわけではなく、モスクの周りにある土産屋やスーク(市場)をのぞき見するくらい。

イラン、エスファハーン
10月14日

 ラマダーンで店が開いていない上に、今日は金曜日なのでおとなしく宿の朝食を注文した。その時に宿に泊まっている2人の日本人話をし、色々な話を聞けた。そのあと、韓国人の王さんとエルマール広場に出掛け、マーケットとモスクを見て周った。モスクに入ると祈りの時間になり、長い間お祈りを見ることができた。そのあとエルマール広場を歩いていたらカメラ屋のおやじに話しかけられ、30ドルでオリンパスペンを買うことになった。軽く食べ物を買って宿に戻り、休憩したあとチェイハネのある橋へ出掛けたが、チャイハネは閉まっていた。

ラマダーン中のエスファハーン。

ヤズド

 エスファハーンとバムの間にある街。ヤズドには大きな観光資源はないが、居心地は悪くない。中東の雰囲気がある迷路のような旧市街は、散歩しているとなかなか楽しい。街自体も道路の脇に色んなお店があって、のぞき見しながら散歩ができる。“沈黙の塔”という、その昔、鳥葬が行われていた場所があり、そこからヤズドの街を見下ろすことができるが、一人で行くと少し淋しいかもしれない。暴走族のたまり場のようにもなっているが、そこまで悪そうな奴らではなかった。

イラン、スーク
10月9日

 リンゴをかじって朝食を済ませ、ベッドでのんびりとしていた。昼前に旧市街を歩いた。旧市街は噂どおりの迷路に迷い込んだ感覚になるが、すぐにホテルの近くの道に出られる。昼食を食べた後も、マーケット側の旧市街を歩いた。ガイドブックの言うとおり、ここを歩くのは楽しい。その後、少し昼寝をして、晩飯を食べてからインターネットをした。勢いでシリア発、インド行のチケットを予約し、なぜか少し興奮した。。

シルクロードホテルはかなりいい。

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